[アニメ]DOG DAYS#06「星詠みの姫」

http://www.dogdays.tv/

戦闘終わって終戦処理と通常運転な日々です。 シンクは自分の事情をすっかり棚上げにして、この世界での生活を満喫します。

日常描写がこれほど面白いのも珍しい。コメディ的な面白さではなくって、可愛いキャラクターの可愛い仕草を愛でるだけなのだけれど、それがあざとくないというか、性的なものに直結していないのが見易くしていてありがたかったです。

シンクの過去を姫様の過去で補強する展開は、物語密度を上げる工夫としてありがちだけどちょっと巧いなって思った。

物語的には(ワンクールであれば)ここで折り返し。二幕物なのか。定番だと水着的なサービス回があったりするけど、この引きでそれをやっても仕方ないだろうし。さくさくとクライマックスへ向かって欲しい。

ちょいちょい出して忘れさせないようにしている現実世界をどう絡めてくるかが大変興味深いところ。

[特撮]海賊戦隊ゴーカイジャー#12「極付派手侍」

http://www.toei.co.jp/tv/go-kai/

ジョーはかつての師匠との関係にケリをつけました。 マーベラスは彼を信じました。

食って治すマーベラス。生身で師匠に立ち向かうジョー。

背中を預け合う間柄だというのを前半で提示し後半で回収する忙しなさではあるものの、30分物の物語としてはこのくらいぎちぎち詰まってるくらいでちょうどいい。

「お前が欲しい」なマーベラスの台詞は、最初の仲間を決める重要な局面にもかかわらずあっさりとしていて。自分の直感を信じ抜く強さが感じられて感じ入った。翻って考えてみると、トランプ篇で見せたワンペアの手札に対する過剰な自信は、「これなら勝てる」という計算ではなくて「勝てると信じた。負けたとしてもその対価は支払」という覚悟もワンセットになったものだったのかもしれない。自信は打算とは縁遠く、蛮勇とこそ馴染む性質のものなのだから。などと単なるギャグ描写に説得力を見いだしてしまうくらい面白かった。

ツインディスクは、シンケンジャー最終回以来の烈火大斬刀二刀持ちフラグかと思ったら普通だったけども。二刀流アピールが以前からあったことを考えると、力任せにぶった切る烈火大斬刀よりは刀の方が妥当よね。ロボットの二段変形は大層びっくりした。ガオの変形がシンプルすぎて「売れるのかしら?」と余計なことを考えていただけに、なおさら。

しかしつくづく「この世界のシンケンジャーは今どうしているのだろう?」と気になって仕方ない。タケル以外はそれなりに仕事があるけど、タケル仕事がないか。寿司屋手伝ってるのかしら。

[特撮]仮面ライダーオーズ#33「友情と暴走と残されたベルト」

http://www.toei.co.jp/tv/OOO/

高校時代、引きこもりから救った友達が映司にアプローチをかけてきました。 いわく、恩返しをさせてくれ。お前の夢に協力させて欲しい。

はしゃいでる伊達さんが可愛かったです。なんだか妙にちぐはぐな感じがするのは何故なのかしら。

[本]R.U.R. / カレル・チャペック

人間の代わりに働くロボットを作ったら、 増えすぎた彼らが人間を見限りました。

言わずと知れたロボットの語源になった戯曲です。初めて読んで驚いたのですが、ロボットって有機体だったんですね。いや戯曲だし、ロボットを演じるのは生身の役者だし、だったら人間に限りなく似ている方がいいというのは分かるのですけど。なんだかちょっと驚きました。

ロボットが出来たことで人間が働くのを止めてしまい、子供が出来なくなった。ロボットがやがて感情を持ち始めた、という基本構造を既に内包しているのが興味深いです。考えてみれば、ロボットそれ自体をテーマにしたときにはいつでもこの構造に立ち返り、その都度作者なり、時代なりの答えを出している気さえします。

本作が宗教的な部分に解決を見いだしたのは、恐らく当時の思想で科学に対立する概念が宗教だったからなのでしょう。もしも現代に書かれていたら、科学を丸ごと否定するような解決にはならなかったんじゃないかなと思います。現代に生きている限り、科学に丸ごと不審を抱く人間というのは少数でしょう。

上演を前提とした点では、「大事なことは舞台の外側で起こり、それに対して舞台の内側で解決を試みて議論する」という構造がフックしました。叙事 / 叙情の意味をまたど忘れしたので細かい話は書けませんけど、こう、映像メディアに晒されているのでどうにも映像的なシーンの作り方をしてしまう身としては、「舞台上に再現不能な物に対していかにアプローチするか」のお手本を見せられた気分です。いや、こういうの普通なんですけどね。改めてね。

[映画]エンジェルウォーズ(原題:Sucker Punch)

死んだ母の遺産を横取りするため、継父によって精神病院に入れられた少女。 彼女はいつの間にか少女を見世物にする劇場の世界に迷い込み、「自由」を求めて戦い始める。

真っ白い髪と色の薄い青のワンピースを着ているので、
どうやらこの物語は”不思議の国のアリス”を下敷きにしているようです。

評判がイマイチなのは、ファンタジーは大分受け入れる素地が出来たけどおとぎ話は難しい、ということなのでしょう。実際、物語として見た場合にはダンス=仮想戦闘シーンが劇場の世界と断絶していて感情を盛り上げる要素としてイマイチ機能しませんし、そもそも劇場の脱出方法を手に入れる過程がファンタジー過ぎて受け入れづらい物になっています。

けれど、そういう所を丸ごと飲み込んでしまえば、「欲しいのは幸福か、それとも自由か?」という実にいいテーマのジュブナイル。ジュブナイルを主に受容する小中学生にはやや刺激の強い題材ですけど、下着までで肌をそれ以上見せなかったのはこれが彼らにこそ見てもらいたい物語だからでしょう。

ダンスシーンがレッドヘリングとして機能しているのは実に興味深い構成で、最後の展開は割と普通に驚きました。語り部が彼女であることに必然があったことに深く納得しつつ、「でも受けないよなあ」と惜しい気分になる映画でした。

[本]ぬらりひょんの孫 vol.16

京都編にけりがつきました。安倍晴明と奴良組の全面抗争が約束されました。

長かった京都編がようやく終わりました。終わってみれば、リクオの三代目襲名、二代目襲撃の真相、安倍晴明復活と盛りだくさんだったお話でした。「畏」の能力化は、妖怪物とヤクザ物のミックスをしていたところにバトル物としてのノイズを入れるようでやや残念でしたけれど。でも普通に読んでも面白い作品でないと意味がありませんし、好ましい変化と受け取ります。

地味な話ですが、つららが荒鷲一家から信頼を勝ち取るプロセスが気持ちいいです。理不尽な扱いをして黙らせようとした荒鷲が、ようやく自分も手伝えると却って喜ぶつららに毒気を抜かれる展開。子供だましと言えば子供だましですが、義理と人情なんて子供だましを極めるがゆえの”極道”です。仁義なき戦いを少年漫画に求める向きも希でしょうし、あれくらいでちょうどいいのだと思います。

あとは細かいところで、切裂とおりゃんせの題字が怪奇物の特撮テイスト溢れるフォントでラブです。そういうやや古い完成の持ち主が、必死に今風のテイストを取り入れているからこその複雑な味わいなのだろうなーと。

 

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